popularmusic guitar

guitar sound & vocals

ギターはソロ楽器として成立しているだけではなく、ヴォーカルのバッキングを担当する事によりその存在を維持してきたといえる。ギターは生活の最も身近な存在で、この長年の歴史を生き抜いてきたと言えるだろう。 クラシック音楽のみ為らずジャズ、ロック、ポピュラー音楽等あらゆる音楽で愛されてきたのである。


2001年同時多発テロによるリヒトはルシファーによるアートの最大の作品である

(人類の歴史上最も美しい音楽は2001年9月11日の同時多発テロ即ちワールドトレードセンターの破壊された爆発音である。)   カールハインツ・シュトックハウゼン

歌は世につれ世は歌につれ

脱皮出来ない蛇は滅びる フリードリヒ・ニーチェ

ポピュラーミュージック

大衆音楽の概念と定義

音楽の歴史を紐解けばその歴史は民族音楽とそれを継受して発展と遂げていった大衆の音楽に行着くであろう。近年に於いては録音技術の発展によりその歴史的な流れを確認する事が出来るのであるが!音楽に於けるこの長い歴史の源泉を辿ると録音技術の無い時代、皿に遡ると楽譜すら無い時代に成って行く事に成るのであるが、最も過去に遡るに至り古楽器に行着きそれを確認するに至ったのである。それは大古の時代シュメール(正しくはスメルであり日本語ではシュメールとされている。)に於いて現在のハープの祖先であるとされるライアに行着く事になる。これは1万5千年前古代でありそれ以前の数億年前の原始時代に至っては打楽器が使われていた。

彼のマイルス・デイビスは音楽にはジャンル等なくあるのは民族的区分である。と言っていたが!これには少々異議がある。現在に於けるグローバルリゼイション化された現在ではなくても古代に於いてもその地域性に依存しており、これはグローバル社会に於いてのマクロ経済の視点で解釈するとマイルス・デイビスのようにミスを起こす事になる。これは現在のミクロ経済所謂リージョナリズム経済圏に依存する事になり人種的民族主義的カテゴライズとは成らないであろう。

即ち古代から現在に至る時間軸に於いての歴史的見地から分析すると以下の様に考察する事が出来るであろう。物質文明が成立する以前は音楽はその地域に依存しておりこの地に住む民族はこの地域内に於いて音楽文化は育まれたのであろう。音楽の基盤はその地域性に在り大衆音楽はその地域に依存する事になる。

経済に於いては、マア何事にもゴールデンルールがあり、その土地のみでの経済が成立しなく成ってしまう事が有る。これの最も適した事例が農業であろう。この農業のゴールデンルールはケインズ経済学に於ける土地収穫逓減の法則がある。農業は天候の影響により収穫量にばらつきが生じる、これにより他の地域との物流が成立する事になる。この時点で初めて音楽のリージョンフリー、クロスオーバー現象が起き音楽に於いてのカテゴリー化が起こる事となったといえるであろう。この現象に因って分かる事は普通一般的な音楽ジャンルは時間軸に対して横方向に広がりを見せるのに対してポピュラーミュージックは時間軸に対して粗平行して進む事となる。これが俗に云う”歌は世に連れ世は歌に連れ”である。

またポピュラーミュージック所謂アメリカンポップと云われるアメリカ合衆国での特定の大衆の音楽の定義とは違い遥かに広義に渡る概念である。この場合一つ解る事がある即ちポピュラーミュージックは他のジャンルのカテゴライズと異なり横方向に分類されるのではなく縦方向即ち時間軸上に於ける時空上の概念であると言えるのである。その為にポピュラーミュージックはその時代時代により

音楽形態が年代によって異なってしまうという多様な音楽上の性質を持つ物であるのである。

ポピュラーミュージックの概念の難しさはこの様な時間軸に平行して流されてしまうので、その時代時代により歴史的変化を繰り返しシームレスに変化をしてしまう。まるでジャズによるスケールアウトインプロビゼイションの様である。

従ってここでは以下の様に考えられるのであるが、古代シュメール、エジプト時代、バビロニア文明時代を経て古代ローマ時代等紀元前のポピュラーミュージックが存在していたと考えられるのであるが確認検証する事は最早不可能である事は自明の理であろう。

では、最も古い確認する事が出来る事象は何かと考えるに至り、そこには一つのテーゼがある事に気が付く事と成る。

即ちそれは時の権力者に認められ楽譜に残り或いはそれが人々の口伝により語られて来た事象が考えられるのである。

 

その流通経路はと云うと、一つは一般的に言われる所謂ノマド旅牧民のその流動性による伝達が考えられる処である。

そしてもう一つは、戦い即ち戦争ある。

この場合皮肉にも平和のメッセージである音楽が戦いによって拡散される事と成ってしまう事がある。この場合最も有名なのがWWⅡヨーロッパ戦線に於けるマリーネ・デイトリッヒの唄ったリリーマルレーンであろう。この歌は連合国軍及びあのナチスドイツの将兵、兵士が歌っていた。戦争の最中にである。

これがオリジナルのマリーネ・デイトリッヒのリリーマルレーンである。

戦時中に於けるリリーマルレーンである。

ナチスドイツのリリーマルレーンである。

以上は近年に於ける戦時に於ける音楽、大衆音楽の動きであるが、この当時では、楽器の動きは全くと言って無い、余談であるが、交流物流が有ったのはカメラであった。最前線の兵士は特にアフリカ戦線では連合軍の兵士がナチスドイツの軍装にシュマイザーサブマシンガン!またナチスドイツ兵士がアメリカ軍の軍装にトミーガンなど完全に逆転して使用した例がある。カメラは連合軍もナチスドイツも例外無くライカを使用しており、戦前戦時中にまで民間人のライカカメラを没収したといういきさつがある。しかしながら音楽の楽しみに置いては共通認識があるが、楽器に対しては戦時中では切羽詰まった事では無くてその様な物流は無かったと言って良いと思えるのである。このヨーロッパ戦線は1930年代の話であるが、遡ること、1100年代に出来たテンプル騎士団になると、彼らが創り上げた銀行業務即ち金融業により物流が加速した事に成る。彼等は戦争により戦利品を稼ぎ戦争をする為に金融業務をしていた。この戦利品の持ち込みが即ち物流となっている。例えば、お姫様抱っこ、と言うのがあるが、これはテンプル騎士団が戦利品として女奴隷を運んだ事がこの起原である。また我々日本人が和食として食べている天婦羅はその語源はこのテンプル騎士団から来ているのである。恐らくは今言われているミリメシの元祖はこのポルトガル語のテンプーラで、戦時に於いて素早く熱処理し食べられるし手に付いた油は手に付いていた泥で落とす事が出来るという合理的な方法である。第一次世界大戦時はアメリカ軍のミリメシはドーナツでありやはり真ん中に穴があり素早く火が通ることで合理的な戦時前線のおやつであったという。

 ここから察するに、テンプル騎士団によりヨーロッパに戦利品の楽器類が各地に持ち込められたのは言うまでも無いであろう。いつの時代にも人間の行動パターンという物はその時代背景の違いはあれど同じ様な行動をしていたりするものである。紀元前原始時代の交易から古代の交易を経て貨幣を使用す様になり遊牧民ノマドに依るその流動性による交易、その後にテンプル騎士団に依る銀行業務の創造により交易、この場合は戦争による戦利品の物流が行われた。この銀行業務により更なる物流が盛んになったであろう事は容易に察する事が出来よう。楽譜の無い時代の交易は恐らくは楽器類のみならずその楽器を演奏出来る者を奴隷として略奪もしくは売買された物と思われる。

 ジャズを定義するに当たり一つの疑問がある。ジャズとは何であろうか!この一つの疑問は、果たして本当に黒人音楽であるのか?そしてブルースから生まれた音楽であるのか?ジャズは4ビートと言われるが、テイクファイブの様に5ビートが有り、ワルツフォーデビィの様に3ビートもある、依って4ビートと定義する事は出来ないであろう。ジャズイコールインプロビゼイションであるならば最初にジャズを演奏したのはセバスチャン・バッハであると言えるであろう。ではブルースは黒人音楽であろうか?確かに黒人音楽であるがブルースの定義は12小節でワンコーラスと成っている。そして最も大事な事はブルーノートスケールを使用する事である。このブルースが生まれる以前はアメリカ大陸に渡ったメイフラワー号の移民達及びその子孫が調整の狂ったピアノの演奏により出来た音楽がフォンキィートンクである。それまでは彼等の民族音楽であるケイジャンミュージックである。考えて見て欲しい物であるが、楽譜を読めない当時の黒人奴隷がブルーノートスケールを発明出来るであろうか?否出来ないことは誰の目にも分かる事であろう。

 ブルーノートスケールは一体何処から来たのであろうか?この出自は一般論ではアメリカ黒人であるとされるが、楽譜を読めも出来ない学も無い奴隷である彼等が新しいスケールを発明開発する等あり得ない事である。ゴスペルからデキシ―ランドジャズが発生して、その後、同時期に新たなる音楽が生まれつつあった!それがブルースである。

 アメリカ音楽の歴史は次の様な流れになる。始めにケイジャンミュージックがあり、オールドタイム、ラグタイム、ホンキィトンク、黒人移入により教会音楽スピリチュアル、ゴスペル、が出現し、ケイジャンミュージックはカントリーミュージック、ブルーグラスへと進化していく事となるのだが、ゴスペルの誕生の後デキシ―ランドジャズが生まれていくのである。このデキシーランドジャズの誕生が1917年でありこれをジャズの誕生とするのが一般論であるが、学術的にはオールドタイムは既にジャズの一部である為にアメリカ合衆国のジャズの誕生は恐らくはアメリカ建国より以前の可能性があり18世紀辺りであろう。尚アジア諸国にジャズが最初に移入したのは中国の上海でありイギリス東インド会社によるアヘン戦争の頃である。これが19世紀である為1917年のデキシーランドジャズ誕生以前の事である。

これはゴスペルであるが教会で生まれたとされる黒人音楽とされているが、聴けば分かる様にケイジャンミュージックである。そしてこのアメージンググレースは東インド会社の奴隷貿易商人が貿易船で歌った歌である。

以上の事から察するに、という事は黒人は奴隷船で奴隷商人の唄う歌を聴いてそれを教会で歌った事に成りアメリカの黒人音楽のルーツはケイジャンミュージックであったのである。

現代に於いてのポピュラーミュージックの推移

原始の音楽はその地域に依存する土着性に依る物であると容易に察する事が言えよう。その後の古代文明に於いては、その地域性に依存する民族と云う概念が生まれる事にある。ポピュラーミュージック大衆音楽の生まれた背景はその地域に依る共通認識に依存した物と考えられる。この共通認識及びが共通概念こそが民族、民衆の大衆化であろう。

今日に於いての所謂クラシック音楽はその当時はヨーロッパにおける民謡フォークソングでありその土着性に於いて大衆音楽と呼べよう事は察する事が出来よう。しかしながら現在楽譜に残る所謂クラシック音楽は大衆は当初は聴く事が出来なかった。何故ならばそれは宮廷音楽、その国の国王が自身の宮廷、所有している土地、城等で楽器演奏家自ら演奏させたのである。この時点ではまだ大衆音楽とは呼べないであろう。

東インド会社がイギリス、オランダ、フランス、スェ―デン、デンマークにできているが、この会社は世界初の貿易株式会社である。東インド、現在のインドネシア辺りであるが、アジア周辺諸国で手に入る香辛料を自国に輸入しその利ザヤを稼ぐ交易事業であるが、これはヨーロッパに於ける主食の肉食に於ける香辛料の必要性、ヨーロッパ諸国に於いては入手困難な生産物は輸入品としては必要性が高かったのではないのでは?と思われる。ここで最も重要な事は、イギリス、オランダに於ける東インド会社である。イギリスはティータイムによる紅茶、オランダはココアが一大交易品であり、ココアをスプーン一杯で黒人奴隷五人分と言われていたのである。ここでは楽器の交易と言うよりも黒人奴隷売買により土着性の無い演奏者を流動化させてしまった!という事実が新たなる音楽を創造するきっかけに成ってしまったと言えるであろう。ブラジル民謡サンバ、ボサノバ、ショーロ等、アルゼンチン民謡フォルクローレ、タンゴ等である。考えてみて欲しい、この各国の民謡に西洋音楽ヨーロッパ民謡の楽器であるギターが何故使用される様に成ったのか!そして土着音楽には無いリズム、シンコペーション等、現在に於いての放送及び情報システムすら無いのに海を超えて流動するなど貿易による物流交易以外考えられないではないか!そしてあらゆる分野でギターが使用例がある事はギターの和音楽器としてのピアノとの違いその利便性、輸送性という取り回しのよさ所以であると思われる。

 東インド会社、主にイギリス東インド会社、オランダ東インド会社による奴隷貿易によりアメリカ大陸に奴隷とされたアフリカ人が移入した事により黒人特有の感覚がアメリカ各地に結果として広まったと云えるであろう。この事により世界各地に新しい音楽が生まれて来るのである。フォルクオーレ、サンバ、タンゴ、ルンバ、ボサノバ等である。

 ポピュラーミュージックの最初原点は何かと考えると、まずポピュラーミュージックの概念及び定義を決めなくては成らないであろう!ポピュラーミュージック、即ち大衆音楽とは?ではそれ以前音の音楽とは?何故クラシック音楽の楽譜が今も現存しているのか?を考えるべきであると考える事である。

 クラシック音楽の原点はヨーロッパ諸国に於ける土着音楽を出自としたヨーロッパ民謡である。これがクラシック音楽へと進化して行く事はヨーロッパ各国の国王、貴族の為の宮廷音楽なって行った事に推移して行く事と重なっているのだが、この宮廷に出入りする事が出来る必要がある、ここにフリーメイソンの存在がある。クラシック音楽の名だたる作曲家の大半と言うか殆ど全てが加入している。入っていないのは、ルートヴィッシ・ヴァン・ベートーベン位である。

 そしてその音楽的解釈、そのメロディラインの美しさを考えると、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトに行き着く事に成る。私の個人的見解に成るが、このモーツァルこそがポピュラーミュージックの父ではないかと考えているのである。特にモーツァルトの作曲方法における、メジャー長調の特性を多用したメロディラインのシンプルな美しさは現在でも通用する位であると言うか、モーツァルト、及びハイドン、ヴィバルディ辺りで音楽に於けるメロディラインは出尽くして終ったと言っても過言では無い!私の見解ではこれ一曲と云えばアイネ・クライネ・ナハトムジークである。これが初めての概念としてのポピュラーミュージックである。と言うのはあくまでも概念上であり、ポピュラーミュージック、大衆音楽はこの後の史上初の有料コンサートの開催まで待たねば成らないが、それは今日に於けるクラシックリサイタル、ポピュラーロックコンサートライブの原点であるのだが、この史上初の有料コンサートこそが、彼等フリーメイソンが始めた事であったのだ。現在に於いてはメソニックホールがそれで、フリーメイソンの集会場をメソニックホールという。

ポピュラーミュージック大衆音楽とは、今までの流れに依り考察すると1700年代は現在言われる処のクラシック音楽がこれに辺り、1900年代に於いてはジャズのオールドタイム、1930年代から1940年代はビックバンドジャズがこれに当たる。1950年代はロックンロールが台頭して来る。1960年代に入りロックの時代に成りビートルズの出現により更にポピュラーミュージックの概念が変化を遂げる(尚この時代にはあらゆる音楽ジャンルでインド音楽の影響がみられる事と成る)現代クラシック音楽の一分野である現代音楽が大衆音楽に導入されたのである。

日本では1970年に開催された大阪国際万国博覧会に現代音楽作曲家が来日したのである。この中にカールハインツ・シュトックハウゼンが居たのである。

 これはカールハインツ・シュトックハウゼンのヘリコプター弦楽四重奏であるが、これに影響を受けたのがジミ・ヘンドリクスである。彼自身もアメリカ陸軍空挺師団第101部隊に配属された経験をもつのである。

ビートルズの出現により現代音楽セリエルミュージックまでもが大衆音楽に成ったのである。現代音楽セリエルミュージックとは、絶対音楽であり、それは音楽の音楽による音楽の為の音楽である。その絶対音楽が大衆音楽に移入されてしまったのは正にエポックメイキングな出来事であった。絶対音楽と大衆音楽とは対極にある音楽である。

 ビートルズの四人組のの出身地のリバプールはイギリスに於ける貿易の拠点であったが、奇しくもこの地は黒人奴隷貿易の拠点でもあったのである。ここから世界中に黒人音楽が輸出されたと言ってもよいであろう。勿論それは結果論では在るのだが!

 本当に奇妙な偶然であるが、リバプールと言う奴隷貿易で有名な湾岸都市である黒人を輸出入した所から黒人音楽をバックグラウンドに持つビートルズという名のサウンドメーカーを同じ場所に輸出した事になる。これはブライアン・エスプタインがマネージャーの時である。

 

Country music Folk song  Bluegrass Popular music & another

Country music& Bluegrass

チャーリー・モンロー(ビル・モンロー&ブルーグラス・ボーイズ)

アール・スラッグス(メインはバンジョー)

ドグ・ワトソン

クラレンス・ホワイト

トニー・ライス(ドーグミュージック)

ペンタングル

ジョン・レンボーン (ペンタングル)

バート・ヤンシュ (ペンタングル)

ウッディ・ガースリー

ピーター・ポール&マリー

ボブ・ディラン

ポール・サイモン

アート・ガーファンクル

ジョーン・バエズ

ドノバン

ピート・シガー

ジョニ・ミッチェル

マール・トラビス

チェット・アトキンス

ブラザース・フォア

ニューグラスリバイバル

バファロースプリングフィールド

クロスビー・スティルス&ナシュ

CSN&Y

アメリカ

エミルー・ハリス

Folk song

ウディ・ガースリー

ピーター・ポール&マリー

ボブ・ディラン

ポール・サイモン

アート・ガーファンクル

ジョーン・バエズ

ジョニ・ミッチェル

Popular music

ナイル・ロジャース

ボビー・ウォーマック

フィルアップ・チャーチ

フォセ・フェリシアーノ

アントニオ・カルロス・ジョビン

ジョアン・ジルベルト

ジルベルト・ジル

セバスチャン・タバジョス

ブルース・コバーン

Another

ボブ・マリー

ピーター・トッシュ

ジミー・クリフ

 アントニオ・カルロス・ジョビン

バーデン・パウエル

ジョアン・ジルベルト

ステファン・グロスマン

 

アコースティックギターに改革が起こったのは、1960年代の事である、ビートルズがロック始めてクラッシック、ジャズに使用されている4ボイシングコードを導入した。同じ様にサイモン&ガーファンクルがフォークミュージックで導入した。これはポール・サイモンがイギリスに渡りペンタングルの影響を真面にうけてしまった為である。 またレッドツェッペリンのジミー・ペイジはペンタングルももろに影響を受けておりレッドツェッペリン3rdアルバムができている。


ブルースとは違い、カントリーミュージックのルーツはケイジャンである。

(因みにサッカー、ラグビー等5か国戦といえば、イングランド、アイルランド、ウェールズ、スコットランドそして、フランスの5か国を指す。)

このケルト人はフランスからスコットランドに、更にアイルランド、ウェールズ、イングランドを経由してサザンアメリカ、ルイジアナ州ニューオーリンズ、テキサス等にたどり着く(余談だが、アメリカで憧れのアメリカ美人と云えばケイジャンである処のフランス系のサザンアメリカ人である)依ってそのリズムは2ビートマーチングリズムである。

アメリカ民謡である処の所謂カントリーミュージックは大英帝国のアイルランド、スコットランドの移民がもたらした音楽でありこの発展した音楽こそが、ブルーグラスである。ケイジャンミュージックのペンタトニックスケール、マーチングリズムをアップテンポ気味にしジャンピングさせたバッキング、フラットピッキングがブルーグラスギターの力強さで魅力の一つである。

ここからはBluegass Guitar by Happy Traum から引用する事にする。

ブルーグラスのギター・スタイルは昔のインストルメンタル音楽で最初の商業的演奏とともに現れ始めました。 J.E.メイナーとマウンテニアボーイズ、ギッド・ターナーとザ・スキレッド・リッカーズ、チャーリー・プール、ザ・カーター・ファミリー、ジミー・ロジャース、ザ・デルモア・ブラザースといったグループやアーティスト達は、私達に現在ごくなじみのあるのと基本的に同じギタースタイルを持っている良い例といえましょう。 (中略)

”ブルーグラス”という用語は、50年代初めまでは一般的に使用されることもあれませんでしたが、もともとは30年代後半期にビル・モンローが発展させた新しいカントリー・ストリングス・バンド音楽を表現するために用いられたものなのです。長年”ブルーグラスの父”と呼ばれてきたビル・モンローはケンタッキー州(The Blue Grass State)の出身で、その名前をとって彼のバンドを”ザ・ブルーグラス・ボーイズ”としました。ビル・モンローの主な楽器はもちろんマンドリン(彼は独特な、影響力のあるマンドリン・スタイルを発展させた)ですが、彼は常にギターをバックに演奏してきました。ビル・モンローの最も初期の録音は彼の兄弟チャーリーとのものです。ザ・モンロー・ブラザースは他のカントリー・グループと同様、きちっとしたハーモニーの歌にビルのマンドリン・ソロ、そのうしろでチャーリーのギターがしっかりとしたリズム・コードとベース・ラインをきざむというスタイルをとっています。しかし彼らのサウンドを魅力的にしてきたのは何といってもビルの高いマウンテン・テナーです。マウンテン・バラード・シンガーをよく”高き孤独なひびき”と言って表現したものですが、ビル・モンローのうたは、彼が若い頃の西部ケンタッキーにおける山の教会での合唱、旋法的ハーモニーから直接影響を受けています。(比較のため、ロスコー・ハルコム、ホートン・バーカークラーレンス・アッシュリィといった昔のバラード・シンガーのレコードを聴いてみなさい)。この”高き孤独なひびき„は、ヴァージニア州、クリンチ・マウンテン地区出身のザ・スタンレー・ブラザーズ、ラルフとカーターのブルーグラス・ミュージックに特に広くいきわたっています。

ビル・モンローが昔風の音楽から脱皮し、ブルーグラス・サウンドを確立し始めたのは1940年代後半のことです。このブルーグラス・サウンドは当時のカントリー・ミュージック界に爆発的な影響を与えました。彼の新しいグループにはモンローのドライブ感あふれるマンドリンに加え、5弦バンジョーに、信じられないほど複雑なスリー・フィンガー・ピッキングを使う若手のアール・スラッグス。ギター、レスター・フラッツ。フィドル、チヤビー・ワイズというメンバーがフィーチュアされました。この組合せは、このグループにカントリー・ミュージックでは今だかつて聞くことのできなかった力強さと、スリルを与えたのです。彼のグループこそは、それ以降出現する全てのブルーグラス・グループの手本となるべきものでした。  

 

上から順にケイジャンミュージックの流れで見るとギターは飽くまでバッキングである事が判るだろう、しかし例外的に

ギターがブルーグラスでソロをとる事があるそれがこのデビルズドリームである。


  ここでギターに於けるポピュラー音楽の存在であるが、アメリカに於けるポピュラーサウンドでは、日本ではあまり人気が無いがカントリーギタリストのグレン・キャンベルを忘れてはいけないであろう!

 日本でのタイトルは恋のフェニックスである

 次はグレン・キャンベルが如何にギタリストとして優れているかが判るであろう!ギターワークである。

グレン・キャンベルがギターテクニシャンであるのは1960年代にジャズギタリストに混じってスタジオミュージシャンとしてのキャリアがあった事は有名な話である。

次はラグタイムの代表曲であるエンタテナーである。

お次はご存知のブルーブラスで有名なフォギーマウンテンブレイクダウンであるが、ここではグレン・キャンベルがリズムを取っているが、バッキング、コードカッティングもその凄さが判るであろう。

最後にスティーブ・ルカサーとのジャムセッションである。