Jazz Guitar The World

Jazz guitar

ジャズギタービルダー(製作者及び製作会社)

ギブソン

エピフォン(エレクトリックギターで初めてトーンコントロールを発明した。)

ギルド(カルロ・グレコ製作のジャズギター)

ディ・アンジェリコ

ダキスト(ディ・アンジェリコの弟子)

グレッチ(ジミー・ウェブスターがチーフデザイナーでアンバサダーでもある。彼のデザインに於けるホワイト・ファルコンは世界で一番美しいギターと言われている。)

クーンツ

ロバート・べネディット

コリングス

スタンデール(ウェス・モンゴメリー使用ギターアンプ)

フェンダー

ポリトーン(ジム・ホール使用ギターアンプ)

ハワード・ダンブル(ギターアンプのロールスロイス)

ジム・ケリー

ジョン・サー

メサ・ブギー

セルマー・マカフェリ(ジャンゴ・ラインハルト使用で有名な)

ストロンバーグ(ディ・アンジェリコの弟子)

クリスチャン・フレドリック・マーチン

ロプリンジ―

ロジャー・サドウスキー(ロプリンジ―の弟子)

デビット・ラッセル・ヤング

ベガ

B&D

パラマウント

リーガル

レビン

カール・ホフナー

ナショナル

ウァシュバァーン

ヘルマン・ハウザー(クラッシクギター制作で有名な)

フレタ・ジャズギター(有名なクラシックギターの制作者イグナシオ・フレタ)


ジャズの歴史は1800年代後期のデキシーランドジャズから始まる。アメリカのジャズ及びブルース博物館の学芸員の話では、ジャズからブルースが発生したとされている。この辺は我が日本と違い面白い、ブルースからジャズが生まれたとされる説が一般論であるが、本国の研究者はこの説を取らずジャズからブルースが生まれたとしている。


ジャズを更に再分化すると次の様に成る.大まかに分類すると(時間軸的には重複するが)デキシーランドジャズ、スイングジャズ、ビバップ、ハードバップ、クールジャズ、モダンジャズ、モードジャズ、フリージャズ、ロックとの融合により生まれたジャズロック、クロスオーバー、フュージョン、である。デキシーランドジャズの時代では4弦バンジョー(余談ではあるが、この楽器はエジプト時代に産まれた物である)がバッキングの主流であるが(ギターは脇役である)スイングジャズの時代にピックギターが産まれ、(クラシックギター製作者のクリスチャン・フレデリック・マーチンがドイツからアメリカに渡りフラットトップステールストリングギターを発明しXブレイシング、それまでにはなかった力木構造により強度を増したのである。バイオリン属の制作技術を生かしこのXブレイシングを使いピックギターが産まれたのである。)ギターの音量が増大したことにより、ギターがその座を奪ったのである。 スイングジャズ以降はピアノが主流でありそれは今日に及ぶ、ジャズがロックとの融合によりギターは主流に成っている。これはビバップ時代にギブソン社が開発したES-150所謂エレキギターの出現による。これはギブソン傘下の安価ギターブランドであるカラマズ―のL-50に所謂チャーリー・クリスチャンマイクを取付けたギターである

これ以前はエディ・ラング、ヨーロッパのロマ、マヌーシュスイング、ジャンゴ・ラインハルト、等がアコースティックギターで演奏していた。この時などは、ギターはサックス等ホーン楽器には音量では全く歯が絶たなかった。


 ジャズギタリストの開祖エディ・ラング

 ジャズギターに於ける恐らくは史上初のシングルノートのアドリブソロを取ったギタリストでバイオリン奏者のジョー・ベヌーティとのコンビネーションが有名である。


ジャズ界に於けるギターの立場 歴史上に於いての変異

ジャズ草創期デキシ―ランドジャズ期に於けるギター

ギターがジャズの世界に於いてある一定の評価をされたのは、ギターのエレクトリック化の時代に入ってからであるといえる。ジャズが一般的な音楽と認知されるデキシ―ランドジャズに於いてはリズムバッキングはエジプト時代からあまり進化していない4弦バンジョーが主役であった。しかしながらその後、イタリア系移民のギタリストがそのヨーロッパ民謡のルーツ、その血統からバッキングのみ為らずシングルノートのソロ、アドリブを展開する。その代表的存在がエディ・ラングである。この辺はクラシック音楽界に於けるギターの立ち位置と良く似ているといえるのではないであろうか!

この事は何を表していのるか、と言うかはこの愛すべき楽器、ギターのその幅広い普及率、気軽で安易な簡易楽器の印象が存在する。この印象が学術的アカデミックな立場からは、敬遠されてしまったのではないか! しかし逆に言えばあらゆる音楽分野でその存在が確認出来るのである。人々に最も愛された楽器と云えるであろう。イタリア系アメリカ人のエディ・ラングは数々のレコーディングを残しているが、そのメインは、バイオリニストのジョー・ベヌーティとの双頭コンビバンドである。これにより逆にヨーロッパに影響を与えている。そうジャンゴ・ラインハルトである。ジャンゴ・ラインハルトはその大半をバイオリニストのステファーヌ・グラッペリとの双頭コンビバンド、ホットクラブ・デ・フランスで演奏している。この事例はレアケースである。

スイングジャズ時代のギター

スイングジャズの時代に入りジャズはより力強くなり、ホーンセクションが花形楽器なっていく。サックス、トランペット、トロンボーン等である。ギターはと言うとカウント・ベイシー楽団のフレディ・グリーンに於けるバッキングスタイルの4つ刻みバッキングがその主流になっている。ギターは花形楽器ではなくあくまで裏方である。


ビバップから、そしてハードバップへ

ジャンゴ・ラインハルトのその名声はヨーロッパからジャズの本場アメリカまでその名を轟かしたのどある。ジャンゴ・ラインハルトはアメリカへと渡っているが、この時多くのジャズメンと会っているが、特にトランペッターのデッジー・ガレスビー、エレクトリックギターの発明家の一人レス・ポール、そしてクラシックギタリストのアンドレス・セゴビア!である。ジャンゴ・ラインハルトの使っているピアノに近いブロックコード(とは言っても、ジャンゴ・ラインハルトはご存知の様に左手の薬指と小指が火事が原因で殆ど動かないので、ブロークンコードと云える)がジャンゴ・ラインハルトはクラシックギター作曲家のヴィラ・ロボスの影響をこのブロークンコードとデミニッシュコードの使用などに見てとれる。ジャズギターのインプロビゼイションで困ったときは、このデミニッシュで逃げる!のだが、(ギターの構造上ギターのチューニングを見れば判る様に)これは、ジャズギターの名言があるが、即ちデミニッシュを制する者はギターを制する!のである。

話が逸れたが、ギターのエレクトリック化がジャズの歴史を変えて行くのである。音量でホーンに負けていたギターがアンプリファイズによりその立場を対等になる事が可能になった。レスター・ヤングのノンビブラート奏法をギターフレイズに置き換えたスタイルが主流になり、ビバップの創始者チャーリー・パーカーのアドリブラインをギターフレイズに組み換えた白人系のギタリストが大量に出現したのである。マンデル・ロウ、ジョニー・スミス、ジミー・レイニー等と云ったギタリストであるが、中でもそのリズムのノリの良さでバーニー・ケッセル、力強いピッキングでハードドライビングなタル・ファーロウである。彼らの場合、ビバップ、ハードバップのみならず、クールジャズにも通じている。

そしてハードバップ期に入るとタル・ファーロウと互角に、それ以上にドライブするギタリストが出現する、それがウエス・モンゴメリーである。シングルラインのアドリブに始まりウエス・モンゴメリーならではのオクターブ奏法、従来のギタリストのオクターブ奏法と違い、まるでホーン楽器の様に良く歌い、その後ブロックコードにアドリブソロが展開していく。ここで完全にホーン楽器と対等に成ったといえるだるう。


モダンジャズ モードの衝撃

マイルス・デイビス、ジョン・コールトレーン、モード奏法に於けるインプロビゼイション

1959年マイルス・ディビスは一枚のアルバムを発表するのだが、この問題作は、従来の音楽の三代要素、リズム、メロディ、ハーモニー、これによる前提条件に於けるインプロビゼイションの概念を根底から変えてしまったのだ。この音楽の三代要素のハーモニーにより曲のメロディラインが決まるのだが、マイルス・ディビスは曲の持つ調性を取り外しクラシック音楽に於ける教会旋律である処の所謂リディアン、ミクソリディアン、イオニアン、ドリアン等単旋律を使用して調性トーナリティの従属からのメロディの開放に他ならない。音楽史上に於けるフランス革命といえるであろう。トーナリティに依存しない自由な、ルート音に帰結しない各音が、平等な(トーナリティにハーモニーはその存在を依存しているのだが、このトーナリティからの解放により、そのメロディは自由度を与えられ、増していったといえるのだ!)音楽を与えられたのだ。これによりインプロビゼイション、アドリブラインがよりフリーフォームになっていくのである。これがモード奏法、モードの誕生である。モード・ジャズの出現である。

このモード奏法は単旋律によりその出自からも判る様に単音楽器である吹奏楽器、ホーン、ウインドインストルメントに歩があったのである。このアルバムの出現によりまたもやギターは遅れた楽器と言われてしまったのである。


このアルバムと前後して発表されたアルバムがスケッチ・オブ・スペインである。この事からもマイルス・ディビスがクラシック音楽を研究していったのが判るというものだ!このクラシック音楽の研究の成果がモード奏法に繋がってゆくのである。このモード奏法により1960年代にはハードバップからモード・ジャズに移行していった。この頃はビ・バップからハード・バップ、クール・ジャズ、フリー・ジャズへと移り変わり、ジャズのメインストリームは変化していったのである。そして最も革新的な変化はこのモードではなかったのではないのか?

この時代を象徴するこのアルバムは私の最も好きなジョン・コールトレインのアルバムであるが、エキサイティングなインプロビゼイションも素晴らしいが、この静かなバラードも素敵であるといえるだろう。モードに於ける演奏スタイルにより、よりシンプルなメロディラインに全ての感情表現を導入したと言えるであろう。これ等はマイルス・ディビスと共にクラシック音楽を研究した成果であろう。モードジャズを体験して、ストレートアヘッドメインストリームジャズはよりシンプルで美しいメロディラインを得ている即ちジャズが得た一つのコンクルージョン帰結である。これと同様な事例はジャズギターでも起きているのだが、ジョン・コールトレインの時と違ってメインストリームとはなり得てはいない。このバックグランドは1960年代のサイケデリックサウンドの胎動、其の奥にはインド音楽のワールドマーケットへの流行は全てのミュージックシーンにその影響をもたらした。この影響をマイルス・ディビス及びジョン・コールトレインも諸に受けている。ジョン・コールトレインと同時期にジャズギタリストも影響を受けているが、これ等の当時の進歩的なギタリストで、代表的なのが、ガボール・ザボ、レニー・ブロー、ラリー・コリエル、ジョン・マクラフリン、パット・マルティーノ等である。

中でもガボール・ザボはアルバム自体が、そのタイトルがその物ズバリ、”Jazz Raga"である。

これと時は変わるが全く同様な事がジャズギターに起きている。ストレートアヘットメインストリームジャズである。

モードジャズを経てシンプルで美しいメロディラインへの一つのコンクルージョン帰結である。それが、パット・マルティーノの”ザ・メイカー”である。

Jazz guitarist

ジャズギタリスト

エディ・ラング

エディ・コンドン

ディック・マクドナウ

カール・クレス

フレッド・ガイ

アラン・リュース

カーメン・マストレン

スティーブ・ジョーダン

マイク・ブライアン

アル・ヘンドリクス

ボビー・ハケット

ダニ―・バーカー

ロニー・ジョンソン

ジャンゴ・ラインハルト

フレディ・グリーン

アルヴィノ・レイ

フロイド・スミス

エディ・ダーハム

チャーリー・クリスチャン

ジャック・マーシャル

ジョージ・ヴァン・エプス

バッキー・ピッツァレリ

ジョン・ピッツァレリ

オスカー・ムーア

メリー・オズボーン

ジミー・ウェブスター

レス・ポール

タイニー・グライムス

アービング・アシュビー

アイク・アイザックス

トゥーツ・シールマンズ

バーニー・ケッセル

ハーブ・エリス

ジョニー・スミス

ハンク・ガーランド

デック・ガルシア

ジミー・レイニ―

タル・ファーロー

ルネ・トーマ

ルネ・グスタフソン

バリー・ガルブレイス

チャーリー・バード

アル・ヴィオラ

ローリンド・アルメイダ

ビル・ハリス

ラルフ・タウナー

エグベルト・ジスモンチ

レス・スパン

マンデル・ロウ

チャック・ウェイン

ジョー・ピューマ

ビリー・バウアー

ハワード・ロバーツ

ウェス・モンゴメリー

ケニー・バレル

グラント・グリーン

ジム・ホール

ジョー・パス

ジョージ・ベンソン

ガボール・ザボ

アッテラ・ゾラ―

ローランド・プリンス

ラリー・コリエル

ジェリー・ハーン

クリス・スペディング

ジョン・マクラフリン

レジ―・ルーカス

パット・マルティーノ

ヴィック・ジュリス(元祖パット・マルティーノの後継者)

ウルフ・ワケーニウス(パット・マルティーノ二世、後継者)

ジャック・ウィルキンス

カル・コリンズ

エミリー・レムラー

ルイス・スチュアート

ブルース・フォアマン

マーチン・テイラー

マーク・フォッセット

ビレリ・ラグレーン

ビル・コナーズ

パット・メセ二ー

ジョン・スコフィールド

マイク・スターン

バリー・フィナティー

グランド・ガイスマン

スタンリー・ジョーダン

マーク・ホイットフィールド

ケヴィン・ユーバンクス

デレク・ベイリー

ヘンリー・カイザー

ソニー・シャーロック

アラン・ホールズワース

リー・リトナー

ラリー・カールトン

ロベン・フォード

スコット・ヘンダーソン

タッグ・アンドレス

マイケル・ヘッジス(元祖・押尾コータロウ・マイケルがオリジナル)

 アル・ディ・メオラ

 


ジャズギタリストの遍歴とその歴史

ジャズの歴史を遡って見てみると、その創生期はブルースと混然一体としていて、その区別がしずらく成っている。

エディ・ラングが活躍していた時代では、彼はロニー・ジョンソンとギターディオをしていたがこのロニー・ジョンソンはブルースにカテゴライズされジャンル分けされていたりする。その後1930年代後半にはギブソンが世界初のエレクトリックギターであるES-150というギターを発表している。このギターはギブソン社傘下のカラマズ―L-50に所謂チャーリー・クリスチャンマイクを取り付けた物である。ギブソンES-150のマイクがチャーリー・クリスチャンマイクと云われる所以はこのギターがチャーリー・クリスチャンの使用により有名に成った事による事が大きいと思える。

このマイクは芯のある、腰の強い音質が特徴であり、中広域に強い特徴のあウッドマテリアルであるマホガニーボディのギターに取り付けるとしてもその特徴がしっかりと残っている。チャリー・クリスチャンがその演奏をレコーディングしていて現存している、我々が今でも聴ける貴重な録音音源はミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン位であり、このギターワークが後のジャズギタリストに影響を与えている事は言うまでもない。このチャーリー・クリスチャンに影響を与えたのが、アルトサックスのレスター・ヤングである。彼の特徴はビブラートを一切付けない、使用しない感情過多にならないクールな演奏スタイルである。この演奏スタイルは実はレニー・トリスターノ学派及びその後のモダンジャズへと続くのである。ジャズギターの歴史を見てみると、前途記述によりジャズギタリストはビブラートを使わないのである。ガボール・ザボ、ラリー・コリエル等が出現するまで例外は無い。唯一の例外はヨーロッパのロマーヌ、ジャンゴ・ラインハルト位であると言える。

ギターのエレクトリック化が如何に大きな役割をジャズの世界、他のジャンルの音楽をも変えてしまったという事がわかるだろう。

スイング・トゥ・バップ

正式にはトプシーと言うナンバー

 アルバム、ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン、この演奏によりジャズギターはエレクトリックギターの時代に突入する事になる。

 チャーリー・クリスチャン以降のジャズギタリストは例外なくこのチャーリー・クリスチャンのタイム感覚を持っている。この点に於いてはロックギタリストのアルビン・リーも同様である。

チャーリー・クリスチャン

 このチャーリー・クリスチャンの出現により時代はスイングジャズの全盛期からビバップ期へと移行して行く事になる。 チャーリー・クリスチャンから影響を受けたジャズギタリストはあまりにも数多く全てのギタリストを挙げる事は出来ないが、ビブラートを伴わないレスター・ヤングの影響がこのチャーリー・クリスチャンのホローワーにも現れている。 この後の所謂クール、モダンジャズに於ける白人ジャズギタリストの時代が到来する。 この時代の黒人ジャズギタリストと云えばオスカー・ムーア、ケニー・バレル、ウェス・モンゴメリー位であり(厳密にはケニー・バレルはハーフであるが)ブルース出身の黒人ギタリストはフィジカル面に於いて、フィンガリングがスムースではなかった。インディアナポリスで下積を、まだメジャーデビューをしていない。遅咲きのウェス・モンゴメリーの登場を待つしかなかった。ウェス・モンゴメリーがギターを始めたのは20歳の時で奇しくも、あのタル・ファーロウと一緒であった。

 ビブラートの無いクールなトーンニュアンスとバックビート気味の後ノリで跳ねる、即ちジャンピング感覚がチャーリー・クリスチャンのもたらしたサウンドである。 ウェス・モンゴメリーの生まれ育った故郷であるインディアナポリスといえば、1911年に始まったインディアナポリス500マイルレース所謂インディ500が有名で、当時の黒人とは思えない様なハイスピードでスムースなフィンガリング、ドライビングはこの土地出身であるからではないのだろうか?

 このフルハウスを聞けば親指で弾くウェス・モンゴメリーならではのグルービーなサウンドが分かるだろう。ウェス・モンゴメリーの弾くオクターブ奏法はクラシックギタリストの弾くそれとは違い、右利きギタリストの場合、左手の運指フィンガリングは人差し指と薬指、小指を使用するが、例えば6弦、4弦の場合は人差し指を6弦薬指を4弦と運指をするがクラシックギターのテクニックとは右手のピッキングが全く異なっている。この場合はクラシックギタリストでは6弦を親指で、人差し指もしくは中指を使用し4弦を弾弦するが、ウェス・モンゴメリーは親指でダウンストロークするだけであり、間の5弦はミュートする。親指のみのピッキングでダウンのみならずアップ&ダウンピッキングを行い右手のスライド、スラーをする事により、独自のグルーブ感を醸し出している。この辺が以前のギタリストとの徹底的に違う点であると言える。 ただ親指でのピッキングスタイルはウェス・モンゴメリーに限った事ではなく、以前から存在していた。 ブルースギタリストは場合によっては、ピックを使用しなっかったり、チャーリー・クリスチャンは友人のT・ボーン・ウォーカーの影響か親指のみでも弾いている事が有ったと見なさている。

ウェス・モンゴメリー

ウェス・モンゴメリーと云えばメロディーラインの良く歌うオクターブ奏法にあると言われているが、これはクラシックギターのテクニックでは、カルカッシ教本には既にあるテクニックで、誰でも演奏している。ジャズの世界では、ジャンゴ・ラインハルトは既に録音しており、ジャンゴ・ラインハルトからウェス・モンゴメリーまでは時間の開きがある。この間には女流ジャズギタリストのメリー・オズボーンがいる。

 このメリー・オズボーンは過小評価されているのではないのだろうか?

メリー・オズボーン

バーニー・ケッセル

恐らくはジャズ史上最高に評価されたギタリストではないだろうか!自己名義のアルバム、ジュリー・ロンドンに代表されるスタジオミュージシャンとしての録音(ナ、なんと、ビーチボーイズ、モンキーズ等も含んでいるから)恐れ入る、スタジオミュージシャンとしては、ギタリストではラリー・コリエルがその地位を変わるまで神の様な存在であったと聞いている。)オスカー・ピーターソン等のサイドマン、グレイトギターズ(ハーブ・エリス、チャーリー・バード)等であるが中でも1950年代後半に於けるダウンビート紙に於いての人気投票ではギター部門のトップポールポジションを常に維持しベースのレイ・ブラウン、ドラムのシェリー・マンと共にポール・ウィナーズを結成し好評を得ていた。

黒人ギタリスト以外では(彼はヒスパニックである)最もリズムのり所謂スイング感が良かったのではないだろうか?

ポール・ウィナーズ

1957年に結成した皆さんご存知の最も人気の有った3人である。ダウンビート紙による人気投票による。

バリー・ガルブレイス

1940年代から活躍しているが1950年代に於ける最も成功したスタジオミュージシャンである。残念ながらリーダー作品はギターアンドウインド、これだけたったの1枚だけである。

ビリー・バウワー

レニー・トリスターノ派に代表される。

リー・コニッツと同様にクールジャズの発展に貢献したジャズギタリストである。ネット上では白人ギタリストとされるが、彼はユダヤ人である。

リーダー作は1枚しか無いとされるが、私の知る限りはもう1枚はあったと思われる。私の記憶が確かならば、ビートルズナンバーを演奏しているのだが?

ビリー・バウワーのリーダー作として有名なのは、こちらのplectristである。

ジミー・レイニー

1960年代を中心に1950年代から1980年代程活躍した私の私感であるが最もオーソドックスな白人ギタリストではないだろうか!

ジョニー・スミス

時代を代表する偉大なジャズギタリストである。ディアンジェリコ、ギルド、ギブソン等名だたるギターメーカー、ビルダーから自身のシグネーチャーモデルが発売された学究肌の人気ギタリストである。ベンチャーズが演奏をして、人気がでたナンバーであるウォークドントランはこのジョニー・スミスの作曲である。

ハワード・ロバーツ

チェト・アトキンス、ジョニー・スミス、と並んで人気がありギブソンから数機種、他メーカーからシグネーチャーモデルが出ておりその人気度が判るというものだ。ジョニー・スミス同様に学究肌であり後進の教育を行っていた。

ジョニー・スミスが自身のギター教室を持ったのに対してハワード・ロバーツは言わずと知れたあのGIT(ギターインスティチュートオブテクノロジー)を1977年に立ち上げた(現MI:ミュージシャンズインスティチュート)1950年代及び1960年代辺りはジャズギタリストはスタジオミュージシャンを手掛けているギタリストが多くいたが、ハワード・ロバーツもその例もれずスタジオワークを行っていた。1970年代に入るとギタリストの需要が以前にも増して増えたのであろうか、ハワード・ロバーツは全米のギタリストのスキルアップを図る為、ギターの、ギタリストによる、ギタリストの為のギター学校を設立した。のだがまさか全米から予想を超える入学希望者の多さにビックリしてしまったらしい、自分が一人で指導しようとしていたが、自分一人では手が回らず講師を頼もうとした。誰か凄腕のギタリストは?と考えてリクルートしたのがパット・マルティーノであった。よって全米中にパット・マルティーノの弟子が存在する。リー・リトナー、ジョー・サトリチアーニ、スコット・ヘンダーソン、ポール・ギルバード等上げれば限がない。尚日本人ギタリストとしては、菅原潤子がどうも成績優秀で卒業したという。スッ凄い!

Jazz Rock

ジャズギターテクニック

今では誰でも知っているギターテクニックであるフィードバック奏法やバイオリン奏法(ボリューム奏法)は、当時に於いてはジャズギタリストがアンプ使用時に、必然的偶発によりハウリングが於きている。拠って最初はジャズギターのテクニックとしてフィードバック奏法は出現したのである。 当たり前で所謂フルアコ(アーチドトップエレクトリックギター)でアンプリファイズするので当然の事ながら、ハウリングは起こってしまう。 ここからフィードバック奏法は偶発的に出来てしまうが、この時代は1930年代後半から1950年代の事であろうが、これに目を付けたのハンガリーから亡命してきた、当時(1958年、バークリー音楽院在籍中)チコ・ハミルトンバンドにてデビューし、その後の1960年にゲイリー・マクファーランドのバンドに参加したガボール・ザボ(バークリー音楽院同期のアルトサックス奏者でこのバンドではフルートを担当した渡辺貞夫でこのバンドでアメリカデビューしている)はこのフィードバック奏法とボリュームコントロール(所謂バイオリン奏法)する事により彼オリジナルな、ギターテクニックを披露している。このガボール・ザボの影響を受けたギタリストがラリー・コリエルである。 当初はロックバンド、フリースピリッツでデビューしており、ジャズでは、ゲイリー・バートンカルテットにてデビューしているが、マイルス・デイビスより早くジャズロックを体現している。 ラリー・コリエルはタル・ファーロウ、ウェス・モンゴメリー等メインストリームジャズギタリストのみならず、前途のガボール・ザボとジャズギターのビル・エバンスとの異名が高いレニー・ブローから影響を受けている。 即ちラリー・コリエルは殆ど全てのジャズギターテクニックを網羅した演奏をする事が出来る稀有なギタリストである。 初来日時のライブでは、スラー、トリル、タッピング等ジミ・ヘンドリクス的なアームテクニック以外の全てのテクニックを使っていた。

 

  ジミー・ウェブスター
 1950年代のジャズギタリストであり、元祖タッピングマイスターとも言えるギタリストでタッピングギターの教則本まで当時から出版されていた。 カントリーギタリストのチェット・アトキンスと共にグレッチギターのデザイン及びその開発に関わっている。ジミー・ウェブスターはグレッチ社のチーフデザイナーでありギター史上最高のデザインとされたホワイトファルコンのデザインも彼の仕事である。このホワイトファルコンを使用していたジャズギタリストは、女性ジャズギタリストのメリー・オズボーンである。彼女こそはこのホワイトファルコンの最も似合うクールなギタリストである。

  タル・ファーロウ
 1960年代に活躍したオクトパスと呼ばれた、当時ウェス・モンゴメリーとその実力を、人気を二分していたギタリスト、言わずと知れタル・ファーロウである。

末端肥大症で手の指が長い彼がタッピング奏法を行っている。この映像はリターン・オブ・タル・ファーロウの後の1980年代であろう。リードプレイでは無くこの様にコードの拡大によりギターの可能性が、概念をも変えてしまう様なコードワークである。この後アラン・ホールズワース等に受け継がれていくのである。

 余談であるが、ホールズワースがギターに接続しているエフェクターのテクニックだが、ディレイマシン等所謂空間系エフェクターの後にボリュームペダルを使いシンフォニク的な広がりを出しているがこのテクニックはホールズワースがオリジナルではない!実はオリジナルは1970年代のヤン・アッカーマンである。

1984年初来日ライブ映像が上記の物であるが、レコーディングと全く変わらない演奏であった。

その時に貰ったサインで、私の知人のT氏が、ホールズワースを日本に呼んだとの事であると聴いている。

  ガボール・ザボ

 ギターで最初にフィードバック奏法を始めたのは、前途の通りガボール・ザボである。が演奏は残っているが映像が無いのである。ガボール・ザボのアルバムBacchanalのナンバーVally of the Dollsを聴いて頂ければフィードバック奏法でメロディーを弾いているのがわかるだろう。これはこの後のアルバムThe SocererMore Socerer等でも同様に聴ける。 ガボール・ザボこそは、既存のジャズギターの概念を変えてしまったギタリストと言える。ジャズの基盤である自由を、自由なインプロビゼイションをジャズとして追及し過ぎたため、皮肉にもストレートアヘットなメインストリームジャズから離れてしまった。尚、ガボール・ザボに影響を受けているギタリストはラリー・コリエル、ジョンマクラフリン、カルロス・サンタナ等である。

 1970年に発表されたGabor Szabo のアルバムであるハイコントラストに於けるオープニングナンバーBreezin'であるが作曲はこのアルバムにサイドギターで参加したボビー・ウォーマックであり、ガボール・ザボのこのレコーデングがオリジナルである。尚、ベースには、フィルアップ・チャーチ(フィルアップ・チャーチはジョージ・ベンソンのブリ―ジンには何とサイドギターで参加している。作曲者のボビー・ウォーマックは参加していない、プロデューサーは共にトニー・リピューマである)がバックバンドで参加している。このレコーデングこそがオリジナルである。その後ジョージ・ベンソンが1976年にカバーしグラミー賞を受賞している。 オリジナルが評価されず言ってしまえば、パクリ(おっとカバーであるので、パクリでは無い(笑)言うなれば、今流行りのフェイクと言うかマガイモノだな(笑))が評価された訳だ(笑)。

 このホームページではボビー・ウーマックではなく、アメリカ人の発音に近い表記のボビー・ゥオーマックが一番近いと思うのだが、ボビー・ウォーマックにしたいと思う。BOBBY WOMACKをボビー・ウーマックとは、発音しない。英語の出来ない私でも違和感を覚えるのだ。 余談だが、ドイツの自動車会社である日本では、フォルクスワーゲンはドイツ本国ではフォルクスワーゲンとは言わない。ドイツ語では、フォルクスバァーゲンと発音し、英語の発音では、ボォルクスワーゲンになる。(笑)

因みに、ロックギタリストのトミー・ボーリンは、一般のアメリカ人はトミー・バーリンと発音してしまい訛ってしまう。トミー・ボーリンはネイティブアメリカンとスカンジナビアンとのハーフでスカンジナビア語の発音になる。

  レニー・ブロー

 レニー・ブローこそは、ジャズギターのハーモニーに於ける革命家であると言っても間違いはないだろう。勿論異論があるであろうがジム・ホールという声もあるがこのレニー・ブローはその上を行くのではないだるうか?クラシックギタリストを超えるハーモニクステクニックである。まるでハープの様なサウンドだ。 これをレニー・ブロースタイルと呼ばれる程である。フォローワーとしては、幻のギタリストと呼ばれたテッド・グリーン、ラリー・コリエルであり、このテクニックを更に発展させたのが、ラリー・コリエルである。ラリー・コリエルスタイルと呼ばれていたりする。

1969年発表セカンドアルバムベルベットタッチ・オブ・レニー・ブローのジャケット裏にはジャズギターの巨匠ジョニー・スミスがライナーノーツを書いている。そこには、レニー・ブローこそはオリジナルであり、ギターでビル・エヴァンスを体現しているとしている。

ジョニー・スミスも認めている通り、レニー・ブローこそはジャズギターハーモニーの改革者でありジャズギターのビル・エヴァンスである。

 1967年のゲイリー・バートンカルテット時代のコリエルはジャズギターに、ここで聴ける様に、ジャズではご法度であるチョーキングビブラートを使っているのが確認出来る。

ゲイリー・バートンカルテットのこのライブではチョーキングビブラートのみならずフィードバック奏法まで行っている事が確認できる。

1975年の自身のグループであるイレブンスハウスを率いていた時の演奏である。

初来日の3年程以前の物であるが、この映像から既にレニー・ブローのハープハーモニクス、ジミー・ウエッブスターのタッピング等が確認出来る。

ラリー・コリエルのライブはイレブンスハウス時代も含めて、最初の演奏は、アコースティックギターで、後半はエレクトリックギターでバンド演奏であった。

コリエル1978年の来日初ライブの時は両手を使い10フィンガータッピングを行っていたがこれはyoutobe上では確認する事が出来なかった、其の為にコリエルではなくこの映像にする事とした。

現在のジャズギター界に於いては、ラリー・コリエルはギターテクニックの宝庫と言えるだろう。

今では誰でも知っているギターテクニックであるフィードバック奏法やバイオリン奏法(ボリューム奏法)は、最初はジャズギターのテクニックであった。フィードバックはハウリングからで(当たり前であるが所謂フルアコでアンプリファイズするので当然の事ながら、ハウリングは起こってしまう。ここからフィードバック奏法ができたのであるが、1930年代後半から1940年代の事である)これに目を付けたのが、ハンガリーから亡命してきた、当時(1958年、バークリー音楽院在籍中)チコ・ハミルトンバンドでデビューしその後の1960年にゲィリー・マクファーランドのバンドに参加したガボール・ザボ(バークリー音楽院同期のアルトサックス奏者渡辺貞夫もこのバンドでアメリカデビューしている)はこのフィードバック奏法とボリュームコントロールする事により彼オリジナルな、ギターテクニックを披露している。このガボール・ザボの影響を受けたギタリストがラリー・コリエルである。ロックバンド、フリースピッリツでデビューしており、ジャズでは、ゲイリーバートンカルテットにてデビューしているが、マイルス・デイビスより早くジャズロックを体現している。ラリー・コリエルは、タル・ファーロウ、ウェス・モンゴメリー等メインストリームジャズギタリストのみならず、前途のガボール・ザボとジャズギターのビル・エバンスとの異名が高いレニー・ブローから影響を受けている。即ちラリー・コリエルはほとんど全てのジャズギターテクニックを網羅した演奏をすることが出来る稀有なギタリストである。初来日時のライブでは、スラー、トリル、タッピング等、ジミ・ヘンドリクス的なアームテクニック以外の全てのテクニックを使っていた。

 

チャーリー・クリスチャン以前のエレクトリックギターオルタナティブストーリー

ギターに拘わらず全てに云える事であるが、物の見方次第では如何用にも取れてしまう事があるが、時が経てば検証作業が困難に成る事が多く分析作業もしに難い事であろう。一般論としては、エレクトリックギターの開祖はジャズギタリストであるチャーリー・クリスチャンであると言われているが、幾つかの異説も存在するのであるが、以前から言われている説は、レス・ポールの存在である。レス・ポールはエレクトリックギターの存在していなかった時からエレクトリックギターの開発を個人レベルではあるが、いち早く行っており、私はレス・ポールが最も早くエレクトリックギターを開発したと考えている。勿論異論は諸説あるが、これを形而上学的分析考察する必要が在るであろうと思われる。例えば、当初はオーディオ機器メーカーのフェンダー社(フェンダーはラジオ機器の製造業者で販売している。この当時はまだギター製造業メーカーではない)のだが、そのアンプリファイアーの技術を生かして、ギターアンプを制作したのだが、他社のギターに使用されるのみ為らず自社のギターをと、考えていた。レオ・フェンダーはここに於いてエレクトリックギターの開発を考えてみたものの解決せず、外部の意見を聞く事としたのである。レオ・フェンダーはジャズギタリストであり発明家のレス・ポールに助言を得ており1948年NAMMショーに世界初のソリッドボディエレクトリックギターのフェンダー・エスクワイアを発表したのである。

シンコ―ミュージック2004年に発行されたジャズギターブックVol2に於いて私が初めて聞いた異説がここに記述されている。ギターのエレクトリック化は1930年代に於いて、リッケンバッカ―社がスティールギターのフライングパンである。が本格的なエレクトリックギターは、ギブソン社のES-150であることに誰も異論は無いであろう。

ジャズギターブックVol2ジャズギター100年の軌跡から引用する。

 

 電気ギターの登場と革命への導火線

 1930年代初頭、弦の振動を電気信号に変えるピックアップは既に製品化されていたようだが、それをアーチドトップ型ギターに初めて取り付けたのは’36年に発表されたギブソンES-150モデルといわれている。

 ギブソン社は’36年春からピックアップの開発に着手し、その際、当時のトップ・ダンス・バンドのひとつホレス・ハイト楽団のスティール・ギター奏者アルヴィノ・レイに協力を求めた。まずラップ・スティール型ギターに取り付けられ’35年末に紹介されたが、まもなくアーチドトップ型ギターに取り付けられることになり、ES-150の誕生となった。その製品第一号は、’36年5月、ミシガン州カラマズ―にあったギブソン工場から出荷され、翌’37年には量産されるようになったという。電気ギターは、ギターの音量不足を補う決定的な方法であり、多くのギタリストが次々と電気ギターへと転向していった。

 ところがジャズで電気ギターを用いた最初の吹き込みはというと、これが結構はっきりしない。一般的にはベニ―・モーテン楽団やカウント・ベイシー楽団で活躍し、トロンボーン奏者でもあるエディ・ダーハムの名前がよく取沙汰される。そして確かに’35年9月録音のジミー・ランスフォード楽団の「ヒッティング・ザ・ボトル」においてダーハムが取るソロは、電気ギターのように聞こえる。しかし、この演奏はリゾネーター付ドブロ(メタル・ギター)とマイクの組み合わせのよるものだったとダーハム自身が語っており、実は電気ギターではない。カウント・ベイシー楽団の「タイム・アウト」(’37年8月)とする説もあるが、筆者が聞いてみた感じでは音が硬く、やはりドブロかもしれない。そうするとダーハムが最初に電気ギターを用いたのは、’38年3月28日のカンザス・シティ・タイム」となってしまう。

一方、白人ギタリストのジョージ・バーンズも、早くからスタジオに電気ギターを持ち込んだプレヤーである。若い頃にロニー・ジョンソンの手ほどきも受けたバーンズは、’36年からブルース歌手等の伴奏を務めるようになるが、ロバート・ディクソンらが編纂したブルースのディスコグラフィ『ブルース・アンド・ゴスペル・レコード』(第4版、1997年)によると、彼が電気ギターを用いた最初は、ビック・ビル・ブルンジ―との’38年3月1日のセッションで録音された「スイートハート・ランド」「イッツ・ア・ロウ・ダウン・ダーティ・シェイム」となっている。つまりダーハムの最初がカンサス・シティ・ファイブのセッションだとすると、バーンズの方が約1ヶ月早かったことになるのだ。   とはいえ、ジャズとブルースがミックスしたようなウェスタン・スイングの分野で、ボブ・ダンというギタリストが“自作”の電気ギター(スティール・ギターに手を加えたものらしいが)を早くから演奏し、この楽器を用いて’35年1月から録音も行っていると指摘する研究者もいるため、もっと研究しなければならないというのが現状である。以上引用した。