Bluegrass guitar & country music

bluegrass guitarist

ブルーグラスギタリスト

レスター・フラット

チャーリー・モンロー

レッド・スマイリー

カーター・スタンレー

チャーリィ・ウォ―ラー

ジミー・マーチン

ドグ・ワトソン

クラレンス・ホワイト

ジョージ・シャフラー

ドン・レノ

ダン・クラーリィ

ジョン・ヘラルド

ノーマン・ブレイク

デビッド・ブロムバーグ

ラス・バーレンバーグ

ラリー・リチャードソン


ブルーブラスギター

マーチン

ギブソン

ギルド

ほとんど、大半のギタリストがマーチンを使用している。

言い切ってしまえばマーチンD-28が大半で殆ど全員と言っても差し支えない程である。


ブルースとは違い、カントリーミュージックのルーツはケイジャンである。

(因みにサッカー、ラグビー等5か国戦といえば、イングランド、アイルランド、ウェールズ、スコットランドそして、フランスの5か国を指す。)

このケルト人はフランスからスコットランドに、更にアイルランド、ウェールズ、イングランドを経由してサザンアメリカ、ルイジアナ州ニューオーリンズ、テキサス等にたどり着く(余談だが、アメリカで憧れのアメリカ美人と云えばケイジャンである処のフランス系のサザンアメリカ人である)依ってそのリズムは2ビートマーチングリズムである。

アメリカ民謡である処の所謂カントリーミュージックは大英帝国のアイルランド、スコットランドの移民がもたらした音楽でありこの発展した音楽こそが、ブルーグラスである。ケイジャンミュージックのペンタトニックスケール、マーチングリズムをアップテンポ気味にしジャンピングさせたバッキング、フラットピッキングがブルーグラスギターの力強さで魅力の一つである。

ここからはBluegass Guitar by Happy Traum から引用する事にする。

ブルーグラスのギター・スタイルは昔のインストルメンタル音楽で最初の商業的演奏とともに現れ始めました。 J.E.メイナーとマウンテニアボーイズ、ギッド・ターナーとザ・スキレッド・リッカーズ、チャーリー・プール、ザ・カーター・ファミリー、ジミー・ロジャース、ザ・デルモア・ブラザースといったグループやアーティスト達は、私達に現在ごくなじみのあるのと基本的に同じギタースタイルを持っている良い例といえましょう。 (中略)

”ブルーグラス”という用語は、50年代初めまでは一般的に使用されることもあれませんでしたが、もともとは30年代後半期にビル・モンローが発展させた新しいカントリー・ストリングス・バンド音楽を表現するために用いられたものなのです。長年”ブルーグラスの父”と呼ばれてきたビル・モンローはケンタッキー州(The Blue Grass State)の出身で、その名前をとって彼のバンドを”ザ・ブルーグラス・ボーイズ”としました。ビル・モンローの主な楽器はもちろんマンドリン(彼は独特な、影響力のあるマンドリン・スタイルを発展させた)ですが、彼は常にギターをバックに演奏してきました。ビル・モンローの最も初期の録音は彼の兄弟チャーリーとのものです。ザ・モンロー・ブラザースは他のカントリー・グループと同様、きちっとしたハーモニーの歌にビルのマンドリン・ソロ、そのうしろでチャーリーのギターがしっかりとしたリズム・コードとベース・ラインをきざむというスタイルをとっています。しかし彼らのサウンドを魅力的にしてきたのは何といってもビルの高いマウンテン・テナーです。マウンテン・バラード・シンガーをよく”高き孤独なひびき”と言って表現したものですが、ビル・モンローのうたは、彼が若い頃の西部ケンタッキーにおける山の教会での合唱、旋法的ハーモニーから直接影響を受けています。(比較のため、ロスコー・ハルコム、ホートン・バーカークラーレンス・アッシュリィといった昔のバラード・シンガーのレコードを聴いてみなさい)。この”高き孤独なひびき„は、ヴァージニア州、クリンチ・マウンテン地区出身のザ・スタンレー・ブラザーズ、ラルフとカーターのブルーグラス・ミュージックに特に広くいきわたっています。

ビル・モンローが昔風の音楽から脱皮し、ブルーグラス・サウンドを確立し始めたのは1940年代後半のことです。このブルーグラス・サウンドは当時のカントリー・ミュージック界に爆発的な影響を与えました。彼の新しいグループにはモンローのドライブ感あふれるマンドリンに加え、5弦バンジョーに、信じられないほど複雑なスリー・フィンガー・ピッキングを使う若手のアール・スラッグス。ギター、レスター・フラッツ。フィドル、チヤビー・ワイズというメンバーがフィーチュアされました。この組合せは、このグループにカントリー・ミュージックでは今だかつて聞くことのできなかった力強さと、スリルを与えたのです。彼のグループこそは、それ以降出現する全てのブルーグラス・グループの手本となるべきものでした。  


尚、ブルーグラスを日本語に訳すとするとなると、アメリカ民謡と訳す事ができる。ブルースは、黒人音楽でありアメリカ民謡とは言わないのである。

country music

チャーリー・モンロー(ビル・モンロー&ブルーグラス・ボーイズ)

アール・スラッグス(メインはバンジョー)

ドグ・ワトソン

クラレンス・ホワイト

トニー・ライス(ドーグミュージック)

ペンタングル

ジョン・レンボーン (ペンタングル)

バート・ヤンシュ (ペンタングル)

ウッディ・ガースリー

ピーター・ポール&マリー

ボブ・ディラン

ポール・サイモン

アート・ガーファンクル

ジョーン・バエズ

ドノバン

ピート・シガー

ジョニ・ミッチェル

マール・トラビス

チェット・アトキンス

ブラザース・フォア

ニューグラスリバイバル

バファロースプリングフィールド

クロスビー・スティルス&ナシュ

CSN&Y

アメリカ

エミルー・ハリス


50年代の中ごろまでには、いくつかの完全なプロ・ブルーグラス・バンドが国中を演奏旅行してまわるようになり、レコーディングをしたり、ナシュビルのっグランド・オレ・オープリィやウェストヴァージニア、ウィーリングからのWWVA(放送局)のジャンボリーといった放送番組に出演したりもしていました。

これらのグループの中にはかけ出しの頃にビル・モンローとの共演で多くを学んだミュージシャンが多数含まれていますが、中でもフラットとスラッグス、ジミー・マーチン、カーター・スタンレー

、ドン・レノ、マッグ・ワイズマン、ソニー・オズボーンといった人達はブルーグラス・ミュージックをアメリカの大衆文化の中に定着させる上で大きな貢献をしたのです。

ブルーグラスギタリストの大部分は依然としてリズムをきざみ、ベース・ランを弾きながら、時々レスター・フラッツの有名な"Gラン„(これは世界中のブルース・ギタリストによって弾き続けられている)のようなリックを加えるといった、伴奏を中心とした演奏をしていました。その中で2つの例外として知られるのは、ザ・スタンレー・ブラザーズの初期のアルバムにおけるジョージ・シャフラーのリード・ギター・プレイと、バンジョー・プレイヤーとしてその名を知られ、かつ優れたフラット・ピッカーでもあるドン・レノです。この2人は共に、ブルーグラス・ギターの演奏に新しいテクニックと洗練さを持ちこんだのでした。しかしながら前にも述べたように、ブルーグラス・バンドに於けるギタリストはなくてはならない存在で、レスター・フラット、チャーリー・モンロー、レッド・スマイリー、カーター・スタンレー、チャーリー・ウォーラ―、ジミー・マーチンをはじめとする数多くのギタリスト・シンガーはその役をうまくこなしています。

ギターは60年代になって初めて、ブルーグラス曲や歌でソロを取るのにふさわしいリード楽器として考えられるようになりました。カントリー・ミュージック界から出現した最もダイナミックなギタリストはブルーグラス・ミュージシャンでは全くなく、ノースカロライナ出身のドグ・ワトソンというマウンテン・シンガーでした。ドグはほとんど全ての音楽分野にたけていましたが、伝統的フォーク・ミュージシャンとして最もその名を知られていました。彼は何百もの曲を知っており、それらをギターとバンジョー、あるいはマウスハープを加えながら豊かなバリトンで歌いましたが、あるフィドル曲を華麗なフラット・ピッキングで弾き始めた時、人々はその素晴らしさに圧倒されてしまったのです。彼の影響はたちまち広がり、アメリカ中の若者がフラット・ピッキングによるリード・アコースティック・ギターの演奏を学び始めました。

ザ・ケンタッキー・コロネルズというブルーグラス・グループで最初にスターとなった若手ギタリスト、クラーレンス・ホワイトもこのドグのスタイルから学びとった1人です。 クラーレンスはそのもっと現代的なフィーリングを加え、ドグのクロス・ピッキング・テクニックを発展させて彼独自の音楽上のトレード・マークとしました。クラーレンスはザ・バーズのリード・ギタリストとしても演奏活動を行ない、数多くのレコーディング・セッションに参加しました。1973年に悲劇的な死をとげた時点でも、彼は既に史上最高のカントリー・ギタリストとみなされていたのです。

ロックバンド、バーズでのクラレンス・ホワイト

ケイジャンミュージックからブルーグラスの流れを見てみると、ギターという楽器がその主な役目がバッキングにあるのが判るであろう。しかし前途のドグ・ワトソン、クラレンス・ホワイト、ジョージ・シャフラー、ドン・レノ、と言ったギタリスト偉大なるレジェンドによりその後継者である、ダン・クラ―リィ、ジョン・ヘラルド、ノーマン・ブレイク、デビッド・ブロムバーグ、ラス・バーレンバーグそしてトニー・ライスに至っている。彼等の精進努力により飛躍的にギターテクニックの向上が成されたのである。

例外的にブルーグラスに於いて、ギターがリード、ソロを取る事がある。それがこのデビルズドリームである。

progressve bluegrass  (new gass vs dowg music)

デビッド・グリスマン及びロックバンド、グレイトフル・デッドのリーダーでギタリストのジェーリー・ガルシアが立ち上げた音楽のジャンルがドーグミュージックである。今風に言うならば、ブルーグラス原理主義、ジャズギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトのマヌーシュスイング及びその理論ジャンゴロジーをブルーグラスに導入してビル・モンローの創設したブルーグラスを発展した形、メタルマテリアルの多いバンジョーを排除した自然回帰的原理主義型音楽こそドーグミュージックである。

ドーグ(dowg)とは、創設者デビット・グリスマンのニックネームである。

 プログレッシブ・グルーグラスとはブルーグラスから発生した音楽のジャンルであるが、ブルーグラス原理主義勢力が、拒絶しているエレクトロニクスやエレクトリックギター及びドラムに代表される打楽器を導入した物である。これの奔りはニューグラスリバイバルである。

このニューグラスリバイバルの正反対のイデオロギーの音楽がイスラム過激派原理主義・・じゃなくてブルーグラス原理主義勢力のドーグミュージックである。

メタルマテリアルを極力排除する純潔主義でバンジョーを排除してしまっている。前途で申し上げた通りブルーグラスにより演奏能力の高みを目指し所謂マヌーシュジャズ、ジャンゴ・ラインハルトのエッセンスを取り入れて造られた音楽ジャンルであると云えるであろう。

マヌーシュジャズ、ジャンゴ・ラインハルトで有名なマイナースイングである。

・・がここではフィドル奏者として、ホットクラブでのオリジナルメンバーのバイオリニストのステファーノ・グラッペリが参加している。このステファーノ・グラッペリが参加していない時はギタリストのマーク・オコーナーがこれを務めている。

ドーグミュージックは当初、デビッド・グリスマンカルテットで始まったが、その後は、トニー・ライスユニット等に引き続きつがれていった。因みにこのトニー・ライスが使ったギターはマーチンのロゴが消えてしまったのだが、各ギター制作会社がこれのコピーモデルを作ったりしていた。このモデルの特徴はサウンドホールが約20%ほど広くなっているのだが、以前の持ち主がしたと思われる。その持ち主とは、かのクラレンス・ホワイトである。と言う事はこのギターはニューグラスから正反対のドーグミュージックに移ってきたという表徴的なギターであると云えるのである。

この事例はビンテージギターの公共的財産としての正しい在り方である。

これとは別に正反対の残念な事例はロックバンドのイーグルスである。イーグルス解散前のコンサートでの事だが、二人の看板ギタリストである、ドン・フェルダーとジョー・ウォルッシュが殴り合いの喧嘩になったのだ。別に単なる殴り合いだけなら何の問題にも成らないがコンサート会場の裏所謂バックステージで各種ビンテージギター、フェンダー・ストラトキャスター、テレキャスター、ギブソン・レスポール等で、ネックを持って殴り合い、或いはギターを投げつけて、罵り合い喧嘩をしたのである。この当時でも、数百万円はしたはずである。

こんなエピソードが有るのだが何と勿体無い事か!歴史的価値の有るビンテージギターを何たる事か!

このドーグミュージックの出現はブルーグラスをよりテクニカルなジャズインプロバイズな方向に高めたのである。

これによりブルーグラスギタリストはジャズギタリストと同等のインプロヴィゼィション技術と実力を備えたといえるし、広くアコースティックギター全般を、その音楽社会に於ける地位を高めたといえる。 

 彼らのピッキングの力強さをまざまざと見せつけられさせた事がある。1980年代初頭、私の記憶が確かならば1983年だと思ったが、東京ディズニーランドの開園こけら落としとして、アメリカのブルーグラスミュージシャンが来日した。

 彼らは一日2回のステージをこなしていた。1回目のステージでは、彼らの十八番のブルーグラスを、しかし2回目のステージでは、なっなんとジャンゴ・ラインハルトライクなマヌーシュジャズ(当時は差別用語とも知らず、ジプシージャズと言っていた)を演奏していた。

 彼らを知ったのは、私がお茶の水の楽器店に務めていた時である。今だとギターショップのスタッフと言う事になるが、楽器店の店員、一売り子であるが、この時に彼らは店にきたのである。

偶然だが、その数日前にレプリカのマリオ・マカフェリギターが入荷したのだ。

このギターを持ってきた営業マンもこのギターの事を知らず・・・今では信じられない事であるが本当である…私はジャンゴ・ラインハルトのファンの一人であったので、セルマー製ギターであると判りプライスカード・・・値札を書いたのだが、不味い事に全部英語で書いてしまったのだ。彼らが来た時英語表記なので、本物のセルマーマカフェリギターと思ってしまたのだ。彼等は本物のマカフェリギターを所有しており、見て直ぐに興味を持ったに違いない。手にすると直ぐにレプリカときずいたのだが、音を出すと、直ぐに気にいってくれたのである。なんと本物のマカフェリにそっくりと言うのだ。この時の彼らのピッキングタッチの力強さは並大抵ではない。彼らがマーチンD-28を弾いたエナジーと我々がエレキギターをアンプリファイズした時のエナジーはあまり変わらない!

弦が鳴っているという感じではなく、ウッドマテリアルのボディ全体が鳴っているのである。結局彼らはこのマカフェリコピーレプリカモデルをこの後数日間来店してくれて数本購入してくれたのである。これは、楽器店に従事する販売員身寄りに尽きる最高の思い出になっている。(こんな事があるから楽器店の販売員は一度やったら辞められない)現在では、この上にブルーグラス専門店が存在する。非常に嬉しい限りである。そして

ブルーグラスのギターと云えばマーチンD-28であるが、今では東海楽器から私がいた会社にマーチンの輸入代理店が変わっている。

話を元に戻すとこの彼らのバンドはこの当時かなり最先端の音楽性を持っていたと言う事になる。そして購入したレプリカマカフェリはそのまま彼らのジャンゴライクなマヌーシュジャズのメインギターになったという。本物は大事にする。ということである。